緩やかに自殺

何処にでもいる精神障害者の自分語り

或蝶々紛い

人の生きる意味。

人類が生まれ、知性を持ち、人間関係という、最も難解で、愚かで尊いものが発生してからというもの、古代から哲人のみならず、熟考されてきたものではないのでしょうか。
わたくしは、日々思念致します。

いつ死ねるのだろうか。振り返れば恥に塗れた道を、足は縺れに縺れて、ぐちゃぐちゃと踏み歩んできた己が人生の終止符を、一体全体いつ打てるのだろうかと。わたくしめの戯言を、果たして思念だなんて名づけをしていいものか、まあ、どうでもいいじゃないですか。わたくしは只今、いつ何時、毎日毎秒、どうだっていいのですから。

どうだっていいじゃないですか。わたくし、とっくのとうに、心は死んでいるのです。

 

頭陀袋に一杯に詰めた、愛しさ、愚かさ、歓喜、憎悪、強欲、焦燥、劣等、期待、なんて、滅多刺しで、いとも容易に漏れ落ち、また乱雑に、ざっくざっくと詰めるのです。手で掬った海水なのですよ。貴方様は一滴も零さずにいられるのでしょうか。

ねえ、わたくしは生涯、この空虚な頭陀袋に一体何を詰めていけばよろしいのでしょう?教えてくださいまし。なんて、貴方様に求めたところで、露知らず。

ねえ、貴方様は、どう呼吸を、どう心臓を動かし、どう脳味噌に命令し、どう他者と触れ合うのでしょう。

ねえ。わたくしの視界は、突如電灯を消したお部屋のように、それはそれはもう、真っ暗なのです。口元まで、わたくしの、きらきらしてとても縁のない世界を映した瞳から流れ落ちた、枯れることのない海水が迫っているのですよ。どうしてでしょう。何度も何度も、お天道様に当たろうとして、"枯れて"と、願っても溢れてくるのです。

汚い汚いわたくしが、他者を穢してしまった罰でしょうか。あら、可笑しな話ですね。わたくしはずっとずっと罰を受け続けていませんでした?

楽しくって仕方がないお話を、お遊びを沢山しても、追いかけてきます。ふと、立ち止まれば足首を、心臓を、脳味噌をぐしゃりと握りつぶされるのです。美しい柘榴なら、どんなに良かったことでしょうね。途端に、裸の身体だけが永久凍土に舞い降りた感覚でございますわ。有難いことに、課せられた義務が、山のようにあるわたくしは、小さな頃からお片付けがめっぽう苦手なものですから、その子たちがわたくしに、構っても無視をしてしまいますの。まあ困ったこと。死にたい死にたい、愛しいわたくしの気持ちが腹に巣食い、只ひたすらに、嘔吐。自室の布団の中で、冬眠中のようにじっと、枕を濡らすことしかできないちっぽけで、それでいて図々しい金食い虫になってしまいました。

安寧で、穏やかであってほしいと思い続けて何年か忘れてしまった、そんな夢の中でだって、強烈な不安感、罪悪感、トラウマは、追跡者として、わたくしに恋焦がれていると勘違いをしているように求めるのです。
本当は、すっかり青空のお外で、花の蜜を求めて、ひらひらと可憐に舞う蝶々になりたいのです。アサギマダラ、オオゴマダラ、カラスアゲハ、モルフォ蝶、大好きですから。モンシロチョウを見かければ、幼子のようについつい目で追い、立ち止まり、魅了されてしまいますの。


ですが、わたくしはもう、疲れてしまいました。"蝶々になりたかった醜い或女"の羽は、自傷、世界という烏につつかれて、ボロボロになってしまいましたとさ。

わたくしに生きる価値はないのでしょうか。お馬鹿さん、そんなこと、お優しい貴方様なら否と突きつけるでしょう。あら、違いましたか。失敬、こんな気色の悪い自意識がわたくしの悪い所なのでしょうね。

もう楽になってはいけませんか?やはり、わたくしは未来永劫、もういくつ犯したかも記憶にない罪悪のための罰を、甘んじて受け入れて苦しみ続けなければいけないのでしょうか。どうか、お許し下さいまし。助けなんて、今更望むことが許されないのは承知しておりますの。只、楽になりたいのです。


嫌われたくない、一人になりたい、だけど寂しい、傷つかれたくない。

 

何も見えません。何も見えませんの。この画面、どうしてもうまく見えません。今日も海の中から、心を、力いっぱいに削って、筆を持っている次第でございますわ。