緩やかに自殺

何処にでもいる精神障害者の自分語り

僕に時間はないのだ。

長らくブログを書かないでいるとどう切り出したらよいのかわからなくなるものですね。

ここ数ヶ月、敢えて文章にするほどの出来事がなかった、そうぼんやりと思います。変わりがない、と言えば嘘になります。私の心身はますます蝕まれているのですから。

 

毎日寝る前に薬を飲み、眠れるのは窓の外が薄明るくなり鳥が鳴き始める頃。

起きても起き上がれないまま夕方までベッドの上で過ごし、深夜に止まらない負の思考に、感情に、頭を支配されて苦しむ毎日。

目の前の現状を打開する精神力すらないのに、目まぐるしく私の頭を往来する将来への計り知れないほど大きな不安に轢死する毎日。

 

人生の選択のDeadlineが刻一刻と残酷に迫るのがただただ恐ろしい。

今まで通りのようで、今まで通りではないのです。

 

変わらないままの私を孤独に置いてけぼりにして、世間は、世界は進化し、季節が移ろうことに抱く恐怖という感情すら独りぼっちで可哀想。

 

久しぶりに外へ出たときに半袖で肌寒かった。

 

冬服を買ってもないのに好きなブランドが春服を発表していた。

 

夜ベランダで煙草を吸うときどこまで息を吐けば良いかわからなくなった。

 

年下の子が大学の授業がリモートになったと嘆いていた。

 

同い年の子が就活の話をしていた。

 

自分が何年足踏みをしているか思い出せなかった。

 

堪らなく惨め。

 

大学で勉強している友人達は皆口をそろえて「大丈夫、あなたのペースがあるよ」と善意で声をかけてくれる。

私は大丈夫ではなかったのです。

劣等感という醜い感情で満たされた汚水を飲まされているように吐き気がした。

誰も私を待ってはくれない。当たり前だ。

その当たり前が辛い。

 

先月、ZOOMによる授業がありました。時間を拘束された授業を久しく受けていなかった私は、朝寝坊をしないようにという強迫観念で眠れませんでした。

9時から17時までの授業をたった4日間受けただけで精神的に疲れました。

 

私にとっては精一杯頑張ったつもりでした。しかしながら私は自分を褒めることができなかった。

 

朝から夕方まで毎日授業を受けるだけではなく、朝起きて身支度をして学校まで通う。これを同世代の人間は普通にこなしているのだ。この授業は私にとっては脅威の事実を突きつけたのです。

私がどれほど自分の精一杯のペースで頑張って、否頑張ったつもりで前に少しずつ進んだところで、当たり前の生活の前ではとてもちっぽけな物と化すのだ。皆は容易に私を引き離すし私はどんどん後退する。

 

一生差が埋まることはない

 

私の心は打ちのめされました。

 

もう良いじゃないか。私の程度はこの4日間ではっきりした。これ以上頑張っても無駄だ。

 

きっと私がこんなことを言えば、殆どの人間は笑うのでしょうね。この子はまた何を大げさなことを言っているのか、といった感じでしょうか。

世界の全てが敵に思えて、誰も私のことなんて見ちゃいなくて、自分は他者に嫌悪感を振りまいている。

”耐へ難きを耐へ忍び難きを忍び”、なんてことがもう私にはできる気がしません。私は今までそうしてきたつもりとだけは信じたい。

 

私は私が描いた理想を追い求めることが困難になったのにもかかわらず、妥協をするということから目を背けているのです。だから劣等感を抱き、将来がうんと遠く感じる。

薄々わかり始めていました。

しかし、今まで何年もずっと人生の指標としてきたものを今更変えるということは私には到底受け入れがたいのです。脳にその理想がこびりついていて払拭するには莫大な時間がいるのでしょう。

 

時間が解決してくれる。

せっかちな私には非常に厄介な言葉です。

 

だって私には時間がないのだから。私にとって悩みの解決とは、至急なのだ。