どうも、かなえです。
何か書くことがあるという訳でもないのに、ブログを書きたいという謎の意欲が先行してこれを書いています。
以前私が誤って削除してしまったトピックを改めて文字に起こしてみようと思います。
人は誰しも何かしらのコンプレックスを抱えているでしょう。
もう少し目が大きかったら。
もう少し背が高かったら。
己の能力や容姿に満足している人間は多くはないでしょう。
私もその一人です。
いつから私が自信の容姿に巨大な劣等感を抱いていたかはよくわかりませんが、おそらくそのきっかけは小学校の高学年のときでしょう。
私はそれまでとても自分に自信を持っていました。持ちすぎているほどに。
小さい頃から両親に溺愛され、父親からはそれを教わるには幼すぎるくらいの知識を沢山得ました。
そうして世間を知らない幼い私は己が他者より優れた人間だと認識したのです。
あくまで父親譲りの知識をひけらかし、中途半端に勉強のできた生意気な児童であった私は教師からしたら扱いづらかったのでしょう。嫌われていました。
自分がかわいいと思い込み、頭が良いと信じた私の振る舞いは、他のクラスメイトたちにさぞ不快感を与えたでしょう。
小学5年生の時、私のクラスには“女王様”がいました。
所謂モンスターペアレントの親を持っていた彼女は教師までもを、ボタンを押すだけで死刑執行をするかのごとく、親の電話一本で簡単に動かしました。
そんな“自分の世界”に目立った人間が現れる。当然彼女は不機嫌になります。
まず親衛隊であるクラスの男子をけしかけました。
彼女らからの存在の否定。いじめ入門編、無視が始まりました。
そして男子がニヤつきながらこう言うのです。
「お前あいつに嫌われてるよ」
さすがの私でも自分の身に何が起こりはじめたのか悟ります。
そこからどんどんエスカレート。
ものを隠される。ばい菌扱い。完全無視。いじめの見本市のような毎日でした。
女王様は決して自分の手を汚さないのです。
そして、毎日毎日、親衛隊は私とすれ違う時、
「死ねよブス。まだ生きてんの?」
と、じわじわと呪いをかけるように、残酷な笑顔で吐くのです。極めつけは女王様とその取り巻き、担任の先生までもが結託して、私のだめなところ、気にくわないところを紙に書いて私に行動を改めるように命じたのです。
あくまでも自分たちを正当化した上での行動です。今思い返しても薄気味悪い出来事です。
私の自己肯定感はそこで、二度ともう己が優れた人間だと思わないように、もう二度と思い上がらないようにと、粉々に壊されのです。
そして私はしまいには彼女たちに対して感謝の感情を抱き始めるのです。
私がブスでちっぽけな人間だということを気づかせてくれてありがとう。と。
まるでカルト宗教の信者のように半ば洗脳されたのかもしれません。その呪縛だか洗脳だかの意識から、中学生にして美容整形への欲望が膨らみ始めます。
SNSで今ほどオープンではなかった“整形垢”で毎晩血眼で情報収集・見極めをしていました。
ルッキズムに囚われた私は、整形のために援交をすることすら考えました。
兎に角綺麗にならなくては、全てが醜い自分をどうにかしなければと、誰も私のことを追い詰めていないはずなのに、その呪縛と自分自身が私の精神を追い詰めていました。
誇張でもなく、こうして文字にしても伝わるはずがないのはわかっていますが、世界で一番己が醜いと、本気で思っていました。
近年、あんなに内輪で行われていた美容整形の情報発信が私のリアルなアカウントにも届くほどポピュラーになりました。
とても危機感を抱きます。
加速するルッキズムに支配される女の子たちが、金のために効果の不確かな情報発信をするアカウントを信じ、必要のない自己否定に走るさまなど見たくないのです。
私は己が醜いと思うからこそ、世の女の子たちが一層健気で美しく、悩む様がいじらしく感じるのです。
私のような思いをする女の子が、この世からいなくなることを私は心から望みます。
ここまで己をブスだと否定しておきながら、私にも一丁前に恋人ができました。
とても嬉しく、人生に信じられないほどの幸福が訪れました。
好きな人が私のことを好きだと、可愛いと、綺麗だといってくれる。この上なく幸福なことでしょう。
しかしその私のやっと得られた幸福をやはりあの呪縛が「お前のことを幸せにはさせない」と言わんばかりに邪魔をするのです。
こんな自分を好いてくれるということを素直に受け止めることができず、とても苦しいです。
この幸福も長くは続かずまた私はどん底に突き落とされるんじゃないかというヘドロのような強烈な不安が常につきまといます。
いつか私はこの呪縛から解放され、心の底から幸福だと感じることを祈って今日は終わりにします。